目の前に美味しそうな林檎がひとつ、転がっていた。
この世界の傍観者に問おう、諸氏ならどうするかと。
林檎は赤くつやつやとしていて健康そのものだった。
虫食いもない、発育不良で青ざめてもいない。割れば蜜があふれ出るであろうことは容易に連想できる。
シェゾは林檎を拾おうとした。至って自然な行為である。
しかし何の悪戯か、林檎は指先に触れた途端にころころと転がり、坂を駆け下っていってしまった。
美味しそうな林檎だったのに、勿体ない。しかし坂を下って行っただけならば、きっと見つけられるだろう。
程なくそれは泥の道の真ん中に見つかった。
相変わらず美しい赤を呈している表皮は傷一つなかったが、ただ泥に塗れていてそのままではとうてい食べられそうにない。
どろどろに汚れたそれを摘まみ上げる。洗おうと水場を探したがさっぱり見つからず、家へ持ち帰ろうと結論付けた。
流しで流水をかけ、丁寧に泥を落とす。
林檎は元の赤さを全身で表現した。改めて見ればそれはそれは見事な赤い色だった。
つるりとした表皮に流れる水を拭き取って持てば、今度は転がることもなくすっぽりと掌に収まった。
それをこの場で損なわせてしまうことにシェゾはある種の虚しさを感じた。
まるで芸術品を壊してしまうような、完成品を損なわせてしまうような感情の萌芽。
ころりとテーブルに転がせば林檎は中央で沈黙した。
少し青い茎が小窓からの光を浴びて、簡素な室内を彩った。
林檎は十分に熟れて、けれど蜜を湛えた実を見せぬよう赤い皮はぴいんと張っている。
そっと林檎の表皮に手を添えれば、林檎はごろりと転がって芯まで熟れたさまが見えた。
シェゾは迷うことなく熟れた林檎を手にとって、
ごりりと音を立てて林檎にキスをした。
真っ赤な果汁が滴って、甘い果実はこと切れた。
首筋ならば欲望のキス