「キミなんてだいっ嫌い!」
「嫌いで結構。こっちこそお前のような奴お断りだ!」

喧嘩の理由は覚えてない。多分、些細なことだった筈なんだけど。真剣にうけあってくれないのが寂しくて、つい声を荒げちゃっただけなのに。
じわじわ悲しみと後悔が押し寄せてくる。
でもそれ以上にまだ怒りはそのままで、ボクは行く当てもなく森の中へと足を向けた。
森の中は静かで穏やかで、ここに来ればボクも少しは落ち着くかもしれないと思ってのことだったけど。
「全然だめだー」
やっぱりなんだか苛々する。もやもやな気持ちもセットで。
怒りにまかせて足を進めていたらいつの間にか開けた湖が目の前にある。
セリリちゃんがいればいいな、少し愚痴でも聞いてもらおう、そう決めて水際に視線を巡らせた。
「あ、アルルさん・・・!」
「セリリちゃん、やほー」
臆病で愛らしいうろこさかなびとの姿を見つけて、アルルはぱっと破顔した。
ぱちゃぱちゃ水を掻き分けて陸に向かってくるその姿は、言っちゃ悪いけど子犬が駆けてくるようでとても可愛らしい。
それに比べて、とつい今しがた「大嫌い」宣言をしてやった奴を思い浮かべかけてぶるると頭を振った。
「どうされたんですか?なんだか難しいお顔ですね」
きょとん、と覗き込む。
「そんなことないよ」
「本当ですか、何かお悩み事でもあるのでは?はっ、まさか私の所に来るのが負担になっているんじゃ・・・?そうですよね、こんな森の奥の湖に来るなんて大変ですものね、ごめんなさい気付かなくて、私が他のうろこさかなびとみたいに宙を泳げたらいいのに。こんな私では嫌われても当然です、ああでもそうしたら私はどうすればいいのでしょう。アルルさんがいらっしゃらなかったら・・・」
「だあーっ!セリリちゃんストップストップ!負担になんてなってないから落ち込まないで!」
悪い方向に飛躍した思考とそれに伴って聞こえ始めたしくしくという泣き声を止めるためにアルルは必死になって否定した。
事実、アルルは特別セリリに会いに行くことを嫌っていない。むしろ嬉々として遊びに行くくらいである。
「本当ですか・・・?」
「うん、だから泣かないで。」
その言葉にふわりと顔を綻ばせる様子は可愛らしいの一言である。
「実はね、シェゾと喧嘩しちゃってさ。」
「まあ、シェゾさんと?」
「そう!セリリちゃん聞いてくれる?」
「ええ、私でよければ。」
「あいつったら本当にひどい奴なんだよ!人が真剣に言ってるのにうろ返事ばっかりで。仕舞いには怒り出すし。まあ、喧嘩はボクからふっかけたようなもんだったけど。」
文句は一度滑り出すと止まらない。
つらつらと口から止め処なく溢れてくる。
はじめは喧嘩をしたことについて。まったくボクの話を聞いちゃくれないんだ!それから本人の悪い癖について。言葉も考えも足りてない、対人コミュニケーションの欠如とはこのことだね!そしてほんの些細な相違について。それから、少しだけ不満について。あいつのことだから迎えに来ちゃくれないんだろうな。
ひとしきり捲くし立ててから沈黙ばっかり支配する時間で「ボクばっかり喋っちゃってごめんね」とだけ言った。「でも、今日ばっかりは腹がたって仕方ないんだ。」とも。
「あの、アルルさん。聞いて欲しいことがあるんです。」
「なに?セリリちゃん。」
ぷちん、ぷちん。泡が弾けていく音だけ繋がって、彼女は緊張した面持ちできり出した。
「私はアルルさんのことが好きです。」
「あ、ありがとう。」
「それと同じくらい、シェゾさんのことも好きです。」
気の弱い彼女が自分の感情をこうして断言することは珍しい。
小さく震える睫毛が影を落として、覚悟を決めたかのように引き結ばれた唇を開いた。
「だから、大好きなお二人が喧嘩しているのはとても悲しくて寂しいことなんです。」
「セリリちゃん・・・。」
それで全部言い終えたかのようにふにゃりと眉を落としていつもの弱気顔。ボクの顔を窺う辺りはいつものセリリちゃんだ、苦笑をひとつ落としてやると彼女も安心したかのように微かに笑った。
「次いらっしゃる時は、二人で来てくださいね。」
「・・・しょうがないな、他ならぬセリリちゃんの頼みだもん。一丁仲直りでもしてやるか。」
からから二人して声をあげて笑うと今までの怒りがなんだか些事に思えてくるから不思議だ。
いや、事実些事だったのだ。ただ少しばかりボクが子供だっただけ。
シェゾにもセリリちゃんにも申し訳ない気分になって、「ようし!」スカートの泥を払って立ち上がった。
「ありがとね、セリリちゃん。」
いいえ、と首を振ってふわりと笑う。
「今度は二人で来るから!」
「楽しみにしてますね。」
うん!笑顔で頷くと力いっぱい地面を蹴って駆け出した。



さてあいつの家に戻って来たはいいけれど。
どことなく入り辛い雰囲気にアルルは気後れしてしまった。
喧嘩別れしてしまった手前、のこのこ帰ってくるのはなんだか気まずい。
大きく溜息をついて、こうしていても仕方ない!と扉を開けた。
きぃ、小さく軋んで扉が開く。
開いた隙間から椅子に座っている後ろ姿。
どこか気落ちしてしまったような背中でわかる、こいつは落ち込んでいるんだ。
ボクに嫌いって言われて、自分も嫌いだって言った、そのことを後悔しているに違いない。
ついさっきまでの気まずさもなにもかもどこかにいってしまって、その代わりみたいに愛しさばっかり生まれ出た。
「シェゾ、ただいま。」
おう、なんて。答える声が不安だとかその他で小さく震えてる。
隠してるつもりかな?でもバレバレだよ。ああもう、可愛いなこいつは!
背後から首元に手を伸ばして、ぎゅーっと抱きしめた。怒ってないよ、さっきはごめんね。万感の想いが籠った抱擁。
やがてがたんと大きな音がして横倒しに倒れていく椅子を視界の端っこに留めながら、おもむろに立ち上がったシェゾに抱きしめ返された。
揺れる揺れる声がこっちを向いて低く響いたのでボクは笑うことにしたんだ。
「怒ってたんじゃないのか。」
「なんか、どうでもよくなっちゃった!」



森の奥の静かな泉に、満開の笑顔の少女が突撃するまであと少し。