きらきら光る欠片。
細かく砕け散った水晶の、その一片をアルルは大事に大事に持っていた。
サタン製作のあの遊園地が崩れ去って、ボクの掌に唯一残されたモノ。
赤い瞳と薄黒い肌をしていた彼の、その本体の欠片なのだと聞かされてから片時も手放さなかった。
ほんの少し顔を合わせただけ。
ほんの少し言葉を交わしただけ。
そればかりじゃなく魔力を奪い取ろうと戦いを仕掛けられた。
だけど、
「ボクはキミともう一度話がしたいんだ」
光を受けていっそう煌めいた水晶に向かって語りかけた。



「アルル、勝負だ!」
「負けてなんかやらないんだから!」
本日はおどろおどろしい曇り空、勝負にうってつけだな!という不可思議な理由で戦闘を仕掛けられるのには慣れてしまい、今日も今日とて不毛な争いが繰り返される。勝者の決定した戦いはこれで何度目なのか、もう数える気も起きなかった。
シェゾの斬撃をかわし反対に魔導を打ち込んでやる。相手がお返しにと言わんばかりにこれ見よがしな広範囲魔導をなんとか避けようと体を捻った途端、それは起きた。
「あ、ヤバっ」
ころりとポケットから転がり落ちたのはあの水晶の欠片を入れた硝子の小瓶。
軽い傾斜がついた地面を転がっていく。それもよりによって今しがたシェゾが放った魔導のその先に。
アルルは色を失った。あれだけは、あれだけは。けれどすぐそこまで魔導は迫っていて拾おうにも防御魔導をかけようにもとうてい間に合うものではない。
「ダメええぇぇっ!」
ぱり、硝子がいとも簡単に割れた音がした。

ぼこりと抉れた地面。
小瓶が転がっていた場所には破片すら見当たらない。
ただ黒く素肌を晒した大地だけが横たわっているのをアルルは茫然自失といった表情で見つめるしかできなかった。
その場にへたり込んで動かないアルルを訝しく思ったのかシェゾが声をかける。
「アルル?」
触れようとする手を払った。
八つ当たりだというのは彼女も自覚していた。けれど理性が理解しても感情は納得していない。渦をまく嫌悪と憤怒が行き場を探して彷徨った。
「ごめん、触らないで。」
もう、会えない。
もう一度喋りたいと思った。もう一度会ってみたいと思った。
あんな破片では意思すら残っていないだろうということはわかっていた、それでも希望に縋っていたのに。
今ではもう、その微かな望みさえ見えない。
「これでお別れなんて、やだよ・・・」
ぽたり、空が泣いた。
「会いたい、よおっ!」
冷たい涙に心が震える。
霧雨の中肌に触れる水滴が髪を濡らし始めるまでアルルは動くことが出来なかった。
「アルル」
「・・・わかってる」
「風邪をひきたいのか」
「わかってる!」
仕方ないなと剣を仕舞いこちらに歩いてくる足音が聞こえた。
ばさ、頭に掛けられたマントに驚き、つられて顔を上げた。
「え」
頭上にあるのは予想していた青い色ではなく、浅黒い肌と暗い赤。
今の今まで会えないのだと絶望していた当人がそこにいた。
「なん、なんで?」
壊れてしまったんじゃなかったの?
惰性のように流れ続ける涙をごしごしと拭って見上げると
温度のある手が髪を撫ぜた。
「会えてよかった」
微かに眇めた紅い瞳が少ない感情の中で微かに笑っているように見えた。
つられて相好を崩すも、先程までの感情に引きずられて泣き笑いのようになってしまった。
「奴の魔導から間一髪力を吸収することが出来た。・・・ほんの少しの量だったがな」
「そういえば、触れてる、ね。」
まだ上手く動かない喉でしゃくりあげながら声を出す。
くしゃりと髪を撫でた手にそっと触れてみる。やはり力を吸い取られることはないままだった。
「魔力を保持しておける器がないのだ、仕方ない。」
触れても魔力を奪うことは出来ないと悲しそうに言う。
あんなにちっぽけな欠片では例え奪えたとしても微々たるものでしかないのだろう。
「だが、悪いことだけとも限らない。」
「な、なに?」
「こうして心置きなく触れられる。」
ぎゅう、と抱き締められるのはいいけれどどこか気恥ずかしくなってアルルはもがいた。
水晶って言うけれど体温もある、脈も呼吸もある。
普段誰かからこうして抱き締められるなど滅多にないことだ。
目の前の人物がシェゾの格好だというのも相まってか、緊張で相手の鼓動までもがはっきり聞こえて自分の顔が真っ赤になるのを自覚した。
「っ、離して・・・」
「そうだ、離しやがれこのセクハラ変態野郎!」
すっかり存在を忘れられていたもうお一方が辛抱堪らないといった様子で二人を引き剥がしにかかった。
「ち、いいところで・・・」
思わず零れた舌打ちをしっかりばっちり聞いていたらしくただでさえ険しい顔がますます顰められた。
「今まで随分大人しいと思っていたのだが」
「アルルが貴様に会いたがっていたからな、顔をたてて眺めるだけにしていたかったのだが・・・目の前で堂々とセクハラされて黙っていられるかこの変態!」
セクハラの言葉に再びアルルが顔を赤らめるのは気にせずシェゾは剣を構えた。
相対するドッペルゲンガーは平然とした表情のまま。
魔力のない体では魔導は使えない、しかし剣は扱えるはずだ。それすら抜かず、まるでシェゾそのものを無視しているかのような態度だった。
「おいこら貴様無視をするな!」
他人の機微に疎いはずのシェゾでさえ反応するほどに完全に無視という態度。
「無視などしていない。」
むすりとした表情で言っても全く説得力がないというもので、かえって相手の逆鱗に触れるだけの結果となる。
「なら何故答えない!貴様アルルに抱き付きおって!」
「なんだ、そんなことで怒っていたのか。」
その程度かという無礼千万な態度についにとさかにくるか、とその時今の今まで恥ずかしさやら何やらで押し黙っていたアルルが仲裁に入ろうと口を開いた。
「あ、あのその・・・ボクは別に嫌とかじゃなかったし、喧嘩はして欲しくないから・・・」
だから言い争いは止めてよ、という言葉は再び抱きしめられたことにより喉の奥に引っ込んでしまった。
「嫌ではないそうだが?」
何やら勝ち誇った様子に悔しそうに顔を顰めて思案するも、すぐに行動に移す。
すっぽり相手の腕の中に収まって顔を赤らめているアルルの腕を強引に掴んで引き寄せた。
「ひゃあ!」
「お前ごときに勝手に持っていかれてたまるものか!」
こいつはオレの獲物だからな!相変わらずの持論を振りかざし逃げられないようにがっちりホールドされるのに危機感を覚えたのか先程までとはうってかわって血の気のひいた顔色でなんとか抜け出そうとあがく。
「えーい離して!ファイアー!」
何をやっても離そうとしないシェゾに業を煮やしたのか、ついには魔導を放ってまでその拘束を解く。
慌てて捕まえようと手を伸ばす二人から距離を取り、高らかに宣言した。
「もう、ボクは誰のものでもないの!勝手に取り合いなんてしないで!」
正論である。
だがその正論を聞き入れる者などここにはおらず、よって
「キミ達二人とも頭を冷やしなさい!アイスストームっ!」
実力行使の後怒って帰ってしまったアルルにより残された男二人が風邪をひいてしまったのは後日の話。