第六夜


リリスが街の角で女神像を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
角の前しばらくの所には、白亜の大門があって、それに合わせたように白い石が小気味好い音をたてて削られていく。おぼろげな空と街路樹の緑と相まって清廉であるように見える。その上像の位置が良い。対になるように彫られたもう一つの女神像が両手を大きく天に広げているのが何となく古風である。創世期の作品とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、現代の者である。魔族も魔物も人間もごちゃごちゃになっておる。対立していた種族らが何故同じ場所にいるのかは知れないが、平和であることに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ女神像だね。今でも女神を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた女神はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも綺麗ですね。なんだってえますぜ。昔から誰が御利益があるって、女神様ほど素晴らしいものは無いって云いますぜ」と話しかけた男もある。この男は抜き身の剣を裸のまま、腰に差していた。よほど無教育な男と見える。
リリスは見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、女神像の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
リリスは頭に小さいティアラのようなものを乗せて、肩当てだか何だかわからない赤っぽい金属の曲がったものを肩に乗せている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分までリリスが生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかしリリスの方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて
「さすがはリリスだな。眼中に我々なしだ。天下を創世せしめるのはただこの女神らと我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
リリスは今ほっそりとした面を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い石を一と刻みに削って、細かな石屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、真直ぐに伸びた髪の一筋一筋がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような顔形ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは顔形を鑿で作るんじゃない。あの通りの顔が石の中に埋っているのを、鑿と槌つちの力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も女神像が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、何者かが邪魔だと捨てていったのであろう、同じような白亜の大きな石がざらりとした表面を見せて転がっていた。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、女神は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも女神はいなかった。自分は積んである石を片っ端から彫って見たが、どれもこれも女神を蔵しているのはなかった。ついに現代の石にはとうてい女神は埋っていないものだと悟った。それでリリスが今>まで生きている理由もほぼ解った。








夏目漱石著「夢十夜」ヨリ