ぷくぷく水が濁っている。
汚泥のような腐った色だ。
ゆらゆら黒髪が腐れ水にたゆたう。
髪に繋がる白い顔に肉はなく、とうに黒い孔がぽかりと口を開けている。
人の形をした汚泥がいくつもいくつも折り重なった井戸の底で、娘は一人骨ばった指を撫ぜていた。
ふと、頭上から声が聞こえた。
――恨めしい
――助けて
――どうして
――痛い
――苦しいよ
娘はぷかりと泡を吐き出す。
「飽きないね」
屍共は尚も恨み言を漏らす。
――殺された
――どうして
――お母さん
――あの夜盗どもが
――憎い
――憎い
――憎い
――憎い
――憎い
――恨んでやる
――呪ってやる
――呪って
「呪った集大成が、ボクじゃないか」
不満気におさない娘は頬を膨らませて、するりと井戸の縁に白い手をかけた。
泥水が跳ねて、つるりと丸いされこうべがゆらゆら揺れた。
井戸の外には朽ちた風車が色紙の羽をそこかしこに撒き散らしながら揺れている。
竹の支柱がずらりと並んで、卒塔婆のようだと娘は顔を歪めた。
墨色をした地面に足を下ろせば、ざらりと擦れるような不快感におそわれた。
男がいた。
黒い鎧を身に纏ったあの鬼だった。
「貴様の恨みは晴らしてやった」
凄みのある笑みを浮かべて男は言う。
黒い縅の縫いとられた鎧にはところどころ黒ずんだような赤が見受けられる。
鬼、と娘の脳裏にひとつの言葉がよぎった。
男は確かに鬼であった。鬼はカミであり、ヒトである。男をどちらと尋ねるならば、その答は決まっていた。
「キミは人間じゃないか」
他人の怨念を背負って生きるなんて真似、お止しよ。
「それともなんだ、ボクを喰らうつもり?」
あやかしの肉は万病に効くという。不老不死を謳う商人もいるくらいだ。
それに男は整った顔を僅かに顰めた。
ああそう、と娘はどこか呆れたように思う。所詮ヒトはヒトよ。
「残念だ」
娘はにこりと笑って、その場にくずおれた。
がしゃがしゃ耳障りな音をたてて、娘であった骨の塊がばらばら崩れた。
しとどに濡れた娘であったものは、あの娘の着ていた露草色の小袖を身に纏い、あの娘と同じ茶に近い髪色を白いされこうべから生やしていた。
男は途方に暮れて立ちつくすのみ。



腐った水に白い指が泳いだ。
髪色も容姿も全く違うが、確かに同じ『娘』が腐臭のする井戸の水にたゆたっている。
周囲では沢山の屍が娘と同じようにたゆたいながらいつまでも呪詛を吐いている。
もう、恨む必要はないのに。
あの落ち武者くずれの夜盗どもは死んだ。
見るも無残に殺された。
誰がやったかを、ボクは知っている。それを屍達に伝える意思だけがない。
囁かれる無数の恨み言が消えてなくなれば、ボクがどうなるかわからない。
「死ぬのは、やだなあ」
濁った水の中でボクはぷくりと泡を吐いた。
ゆらゆら水面に黒髪が揺れて、何も知らない哀れな女の細面がまた恨み言を零した。

―― 一生、許さない

どうぞどうぞ。






狂イ骨
(こそこそ音がする)(鼠が騒いでいる)
(知っておるか)
(知っておるとも)
(あれは狂っておる)(狂骨の名に相応しい)
(呪い言葉を延々吐いて)(狂った女らよ、哀れなことじゃ)