「誰にも見られないお芝居はつまらないね」
少女は確かにそう言って笑ったのだ。
私はその言葉を笑顔で聞いていた記憶がある。
窓から見える空は私の髪色に近く青々としていて、春先の暖かさが石造りの部屋に染み込んでいた。
悲嘆にくれたような魔王の声と愕然としたような掠れた男の声と諦念に彩られた少女の弾んだ声を聞きながら、私は一人、視線だけは飴色の目を持つ少女に向けながら意識は窓の外だった。
(今日も、いい天気ね)
それはお芝居に違いなかったのだから。





サタン様の花嫁の基準は理解不能である。
あれだけ巨大なハーレムを所持していながらまだ花嫁を探すというのも理解不能ではあるが、それは為政者として仕方がないのだとルルーは割り切っていた。
ハーレムというのは為政者の欲望を満たすためだけにあるのではない。
大勢の立場の弱い女性を養っていくという側面も持ち合わせている。
一夫多妻制だって本来は戦で夫を失った女性を他の男性が養っていく、いわば女性のための制度だ。
それら全てを理解していても尚、サタンの花嫁の基準は理解に苦しむとルルーは常々感じていた。
何故自分ではなく彼女なのか。
女性という点では二人とも相違ない。では彼女が弱い女性だからか、というとそれもまた違う。
「サタン様をぼっこぼこにしておいて『弱い』だなんて言わせないわ」
なにかにつけて少女に向けるその言葉は、どこも間違ってなどいなかった。
彼女の疑問が解決したのは、それより少しの時間経過の後のこと。

冬の寒さが和らいできた午後。
空気は停滞したままで、大きく口を開けた窓から風は入ってこない。
長く弱い日がぬるま湯のような居心地よさを生み出して、遠くに鳥の声を聞いた。
「『輪廻外生命体』・・・それが、あの子なのですね、サタン様」
曰く、世界は「創造主」により破滅の危機に瀕している。
曰く、「輪廻外転生体」である彼女だけが「創造主」たる何者かの繰糸を断ち切ることができる。
曰く、「創造主」を倒せば世界は滅亡する。
至った経緯はよく覚えていない。
全て言い終わった魔王は重々しく頷いて、悲しみにくれるように目を伏せた。
「そう、だったのですか・・・」
友人が過酷な運命を背負わねばならないというのに、女は少しも悲しんでいなかった。それどころか歓喜に近い感情が胸に渦巻いているのを感じていた。
私が選ばれなかったのは特別な存在ではなかったから。
そう思うだけで随分と心が軽くなった。
私だけが選ばれなかったわけじゃない、むしろその他大勢としては破格の待遇だったのだ。
歪んだ自尊心がルルーを支えて、白々しい声が反響してホールに響いた。
「あの子、大丈夫でしょうか」
俯けた顔は前髪に遮られて見えなかった。窓の外はやはり日が照っていて、私はそっと目を閉じた。
(ああ、今日もいい天気)
蓋をされた視界でも、青空が広がっていることはわかったのだ。





「じゃ、行ってくる」
最初から最後まで屈託のない笑顔をしていた少女は、その言葉だけ残して行ってしまった。
リンネガイテンセイタイというくだらない肩書を背負ったままで。
まるでお伽噺のよう。そう呟いた言葉は誰にも拾われなかっただろう。

雨の音がする。
あんなに晴れていたのにと女は窓を開けて、赤く濁った雨を見た。
「これは・・・」
瞬間強い鉄錆の匂いが漂って、その不快さに耐えられず女は口を押さえた。
血液が降ってきている、そう知覚した瞬間に窓の外がとても汚らわしく感じて慌てて窓を閉めた。
雨の降り続く音がする。
脳裏に浮かぶのは先日のやりとり。つまらない、と少女は言っていた。
誰にも見られないのはつまらないと。
けたたましく鳴り響く開演のベルの代わりに赤い雨。観客は世界そのものだと言わんばかりに雨は地面を叩いていた。
透明な涙が目尻に浮かぶ。生理的嫌悪感と戦いながらもう一度窓を開けた。
観音開きの窓を開くには大きく外に手を伸ばさなければならない。垂れた赤い水がぬるりと木枠の上を滑って、硝子に真っ赤な線を引いている。
空は変わらず青く大きい。その青さにえもいわれぬ罪悪感が込み上げてきて声が喉をついて出た。
「ごめんなさい」
伸ばした手に絡みつくように血が落ちてくる。
生温い温度だった。命の温度だった。
「ごめんなさい」
わたし、知ってたの。あなたが死ぬこと、知ってたの。
なにもかもお芝居だってことも、シナリオを真実だと思い込もうとしてたことも。
真っ赤な雨が降り注ぐ。
むっと鼻につく匂いはいつまで経っても慣れることはないだろう。







終末、空、傍観者のための間隙
(わたしはあのこをころしたのだ)