きらきら硝子が光った。
つるんとした球体の中には水が張ってあり、その中に真っ赤な鰭をなびかせてひらひら金魚が泳いでいる。
陽の光を受けて気持ちがよさそうに、冷たい水に身を任せてひらひらと。
重厚な色合いの室内にあってそれだけが雰囲気にそぐわないまま存在している。
つるりと硝子の表面を撫ぜれば水の冷たさが硝子越しに伝わってきた。



金魚の恋



「ねえルルー、これって金魚だよね?」
部屋の持ち主の嗜好に合わないであろうそれを訝しむ。
小さな硝子は慎ましやかにテーブルの上に置かれていた。
「ああ、それ。貰ったのよ」
可愛いでしょう?とにこやかに微笑む彼女はいとおしむような声色で言った。
「サタン様がね、くださったものなの」
先程から笑みばかりのその様子に合点がいく。そりゃ愛でるわけだ。
どういった経緯でこんな魚を貰うことになったかは尋ねないことにした。例のサタン様大好きトークはとっくの昔に聞き飽きている。
「お前に似ているなって仰ったのよ」
しかし当の彼女はといえばそれだけ言って口を噤むだけ。
「変なの」
「あら、何がかしら?」
「ルルーのことだからサタンを褒めちぎるのかと思ってたんだけど」
見当違いだったみたい、小さく笑った。
金魚は素知らぬ振りでゆらゆら尾を水にたゆたせながら泳いでいる。
体の割に大きな尾鰭は、自分を美しく見せようとしているかのようだった。
「私より、あなたに似てるわね」
ふと、それまで押し黙っていたルルーが口を開いた。アルルには何のことやらさっぱり理解できない。
「一匹、あげるわ」
「え、いいよ。カーくんに食べられて終わる気がするし」
「それならそれでいいのよ」
珍しい、とアルルはひとりごちた。ルルーはいつだってサタンから貰ったものを大事にする。アルルにそれをあげたり、ましてや食べられてしまってもいいなんて言ったことは今まで一度もなかった。
「変なの」
もう一度呟いた。
「私もそう思ってるわ」
そう思うのならやらなきゃいいのに、とは言えなかった。
何処にあったのか、底が平らになった球形の硝子玉を取り出したルルーはミノタロウスに水を張ってくれるよう頼むと、金魚鉢から一番小さく赤い金魚を掬い出した。
水をなみなみと張った硝子玉に一匹だけ入れられた金魚は突然の変化に戸惑ったようにくるりと輪を描いて、ちょうど中心で留まるようにして水を掻いている。
「このまま持って帰りなさいな」
円形に切り取られた上部の穴に蓋をする。コルクは水が漏れないようぴったりと嵌っていた。
「うーん、じゃあお言葉に甘えて」
とぷん、音をさせて揺れた硝子玉を両手で抱え持った。
小さな硝子玉でよく生活できるものだとアルルは感心しつつルルーに向き直って笑って見せた。
「ありがとう」
「礼を言われることじゃないわ」
笑顔のままぽつりと零した言葉は、アルルに届くことはなかった。
「ただの自己満足なだけよ」



部屋で一番暖かい場所。陽光差しこむ窓際に硝子玉を置く。コルク栓はとっくに外してある。
「カーくん食べちゃだめだからね」
「ぐう」
とりあえず釘を刺しておく。何日もつやらという懸念もあるが、当面はこれで大丈夫だろう。
開け放した扉を閉めに向かう。外開きの扉は軋んだ音を立てながら小さく揺れていた。
「不用心だな」
不意に見知った声が聞こえた。
「扉を開け放したままだぞ」
「それで勝手に入ってくる方もどうかと思うけどね」
それでも追い出すなどということはしない。シェゾの行動が突飛なのはいつものことだ。
「で?今日は何の用?」
「そう邪険にするな。ただ顔を見に来ただけだ」
「どうだか」
軽口ばかりが飛び交う。勝手に入って来られたのは癪だが、訪ねてくれたのは嬉しいので茶くらいは出すかと台所へ向かった。
そこらに掛けてなよ、と言い捨てて。
砂糖を添えたティーカップは二つ。ミルクポットも用意してある。
お茶請けなんてものはないが、これなら文句も出ないだろうとトレイに乗せたそれらをテーブルに運んだ。
いつもなら適当にそこらの本に目を通しているのだが、今日に限って明後日の方向を向いている。
何をそんなに見ているのかと視線を辿って、そこにあった硝子玉に「ああ」と声が出た。
「金魚。ボクに似てるんだってさ」
すっかり慣れた様子で硝子玉の中を泳ぎまわる金魚は時折硝子に頭をぶつけるが気にした様子もなく悠然と鰭を動かしている。
「似ている、ねえ」
そうは見えないとでも言いたげな視線。
「ボクだって何処が似てるかさっぱりだよ」
赤い尾をひらひら振る金魚の何処がボクと似ているのやら。少なくとも外見ではないだろうとアルルは自嘲する。
何処を見ているのか知れない茫洋とした金魚の目は本当に外界を捕らえているのだろうか、不思議なほどに何度も何度も硝子に頭突きをする。
何かを訴えかけているのか。
「金魚って、こんな狭い場所で大丈夫なのかな」
あまりに頻繁なその行動。答えを出したのはシェゾだった。
「頭をぶつけても、ぶつけたことを忘れてしまう。だから金魚は狭い場所でも生きていけるんだと」
「ふうん」
こつこつ硝子に頭をぶつける金魚。
「この子、ルルーに似てる」
「あの高飛車女にか?」
「うん」
金魚は忘れる。愚かにも自分を傷つけることを繰り返す。
忘れては思い出し、思い出しては忘れ。
「ボクにも似てるや」
口角を上げた。
恋心なんて、忘れてしまったよ