「お前が欲しい」
「その台詞は聞き飽きた」
べえ、としかめっ面で舌を出した。
強い夏場の陽の光が降り注ぐ午後のことである。

みいぃ、静かな深緑の中で蝉が震えるように鳴いている。
ぐうぐうぐぶぶとくぐもった声を出しているのはカエルだろうか。
ぴぃーぴゅるるるる、すういと旋回した鳶を目で追いかければ
「おい」
不機嫌そうな声がすぐに飛んできた。
「なあに、ボク忙しいんだけど」
少女のうなじを汗が伝う。
太陽光線はいっそ有害物質を多分に含んでいそうなほどに痛い。
抜けるような高さと青さにぽつんと浮かんだ点を目で追う。
「鳶を見てるの、邪魔しないで」
「それはオレとの会話より大事なことか?」
「あったりまえ」
輪を描くように点が動く。気持ち良さそうだな、と目を細めた。
「おい」
突き刺すような陽の光は嫌だなあ、でも気持ちいい風を感じられるのなら空を飛ぶのも悪くない。ぽつぽつと集い始めた鳶を眺めながら、そう思索にふける。
「おい、アルル」
鳥になりたい、なんて感傷的なのは好きじゃなかったけど確かに楽しいだろうなあ。少女の口元を彩るのは笑みばかりで、横から聞こえてくる騒音など歯牙にもかけていないことを如実に表している。
「おいこら聞いてるのかアルル・ナジャ!」
ついに痺れを切らしたのか耳元でどなり声をあげる男に少女は嫌そうな顔をして耳を塞いだ。
「怒鳴らないでよ」
「聞こえているんじゃないか、返事くらいしたらどうだ?」
「無視してるの、わからない?」
もうキミの相手は疲れた、と言外に言ってやれば男はますます激昂したように白い頬を上気させた。
「ふざけるな!折角人が正々堂々と・・・」
「正々堂々と変態発言?だから、もう聞き飽きたって」
ひらり、手を振って追い払うような仕草を見せる。
男にはそれが気に食わない。
「オレを怒らせたいらしいな、貴様は」
「何?勝負でもするの?どうせキミが負けて終わりでしょう?」
あからさまな挑発に今度こそ実力行使を、と男が足を踏み出した途端に周囲が傾いだ。
何か仕掛けられたのかと傾ぐ視界を前へ向ければ、驚いたように目を丸くする少女が目に入る。
歪んでいく風景に焦りを感じながら、男の意識は沈んでいった。





「あ、起きた」
眩しさを感じて開いた視界に大写しになっていたのは男にとって仇敵とも言える少女の顔と、梢から漏れる白い陽光だった。
「キミ、倒れたんだよ。ボクの目の前でさ。放っておこうかと思ったけど、そのまま死んだら寝覚めも悪いし」
不可解そうな表情をしていたのだろう、少女はすらすらと今の状況に対する解を口にした。
「熱射病じゃない?まったくそんな黒づくめの格好してるからだよ馬鹿だねえ」
何がおかしいのかきゃらきゃら笑う少女の悪態に反論する気力も今は無く、男は溜息を吐いて単純な疑問を投げかけることにした。
「それでどうして貴様の顔が目の前にあるんだ?」
「そりゃあ、今ボクが膝枕してやってるからに決まってるじゃない」
「・・・起きる」
「碌に立てない癖に何言ってるの。もうしばらくこうしてなさい」
べしん、と小気味良い音をさせて外れたバンダナの下に隠れていた額を打った。
しぶしぶといった様子で少女の膝の上に頭を落ち着けた男はせめてもの抵抗といったように目をきつく瞑った。
さやさや揺れる梢に目を細める。
ああこのまま眠ってしまいたいくらいだ。
さらり、髪の上を何かが滑った。それは一定のリズムを保ちながら上から下へと何度も滑っていく。
「貴様は猫のようだな」
先程とは態度が一変している、と皮肉の意を込めながら言う。
「病人苛めるほど捻くれてないから」
炎天下に黒服は自業自得だと思うけど、半分はボクのせいかなって責任感じたりもしてるのさ。
そうか、と言う男にそうだよ、と返して
「それに、猫はキミの方だと思うけど」
「誰がだ」
「うーん、人に懐かないところ?」
それきり少女は黙ってしまう。ただ笑みだけは口元に張り付いていたので男はそれ以上尋ねるのを止めた。再びからかわれては堪らない。
頭上ではまだ太陽が強く自己主張していた。
影になった枝葉でも防ぎきれない光を眩しく感じて男は目元に手を翳す。
少女の顔も自分の手に遮られて、変わらず笑みの浮かんだ口元だけが見えていた。
「ねえ」
三日月のように歪んだ唇から発せられた声が空気を震わせた。
翳した手を退ければ、影になるように背を屈めた少女ばかりが目に入る。
「キミは一体何を欲しているの」
指通りのよい髪を手持無沙汰に弄びながら少女は何度も繰り返された問いを投げかける。
「言ったろう、お前が欲しいと」
飽きもせずそう言う男に あははは、と少女は快活に笑って
しょうがないなあ。
「片手だけ、あげるよ」
ひらひら目の前で振って見せた右手で再び男の頭を撫で始めた。

それ以上は、おあずけね。








ねこをころす
(には、一握りの好奇心で十分です)