「小鳥だ。」
誰かが言った。
声のほうに目を遣ればよく見知った少女が青々と葉を茂らせる草原にしゃがみこんでじいと何かを見つめている。
いつもの白と青で構成された服装は間違えようもなく、シェゾはためらうことなく声をかけた。
「何しているんだ?」
「小鳥。巣から落ちたみたい。」
ちい、と小さく鳴いたのは確かに幼い鳥の雛。
傍らの樹木の上には枝で作られた鳥の巣が一つあって、兄弟と思われる雛がちいちい鳴いていた。
「可哀想だね、一人だけ落っこちちゃって。」
そうっと割れ物でも持つかのように大切に大切に手で包んで雛を持ち上げる。
「大丈夫、今巣に戻してあげるからね。」
ちいい、と雛は嬉しそうに鳴いた。
それに応えるように少女は笑顔を見せる。
その微笑ましい情景を男はにこりともせず眺めていた。
手を貸してやる義理もなければ意思もない。それでもこの場に留まったのは少女があの雛をどうするかという興味のためだった。
小さく鳴いた鳥を片方の手のひらに乗せ、高い場所にある巣目指して木を登り始める。
高低差のある視界ではどうしても「見えてるぞ」忠告だけはしておく。
「見なきゃいいじゃん、目え瞑ってなよ。」
しれっと言い放った言葉には色気の欠片すらない。恥じらいというものを持て、と茫洋とした目で考えた。
木は幹すら心もとない、細いものだった。枝に足をかければあっという間に折れるであろうことは容易に想像がつく。
それでも巣の場所自体はそう高くないところにある。
木のうろのような窪んだところに足をかけてようやっと半ばまで登ったところできゅうっと口を結んで思い切り手を伸ばした。
無論掌には鳥の雛。
ちいちい鳴く兄弟のもとへぐうっと押しやって、ちちちと雛が慌てたように羽ばたきながら巣に収まったのを視界の端で見てとると気が緩んだのか
ず、と木肌に添えていた手が足がずれて「きゃあっ」バランスを崩してどたんと地面に落ちた。
強かに腰を打ちつけて掌やら顔やら足やらを土で汚す。
それでも無事巣に戻った雛を確認すると
「これでよし!」
顔や手についた泥を拭ってにこりと笑った。
ちい、ちいいと雛達は大騒ぎしている。
「兄弟が帰ってきて嬉しいのかな。」
ね、そう思わない?と少女が笑顔で尋ねるので「知らん」とだけ言うと「夢のない奴に訊いたボクが馬鹿だった」と少女は舌を出してそっぽを向いた。
「あ、ねえあれ。」
くるくる旋回しながらこちらを窺う二羽の鳥。
「親鳥だよ、親鳥!」
きゃいきゃいはしゃぐ。そんなに嬉しいもんかね、と男は溜息をついた。
親鳥はちゅいちゅいと鳴きながら木の周囲を旋回するばかりでちっとも巣におりたとうとはしない。
「人間を警戒してるんだ。」
むう、と少女は頬をふくらませて促されるまましぶしぶその場を離れた。
振り返り振り返り、あの雛がどうなるのか気になって仕方ないのだろう。
遠目で親鳥が巣に降り立つのが見えた。


一日目。
アルルは時々思い出したかのように雛はどうなったろう、と訊いた。
その度に見に行けばいいと答えるが、当の本人はうーんと悩んで「あとでいいや」とばかり言った。


二日目。
雛はきっと元気に育つだろうね、親鳥も嬉しかったろうね、と笑う。
見に行く気はないらしい。


三日目。
すっかり雛のことは頭から消え去ったようで、いつも通りの軽口の中に雛のことが出てくることもなくなった。
そんなもんだ、と男は思った。


四日目。
雛のことを忘れかけていた頃に通った道すがらにアルルを見かけた。
この前と同じようにくさはらの真ん中、細い木が大きく手を広げているその下で何かをじいと見ていた。
違うのはしゃがまず立ったままで何かを見ていたというそれだけである。
「今度はどうした。」
急にかけられた声に驚きも振り向きもせずただ今しがた自分が見ていたそれを指さした。
「何か落ちてる。」
木切れの中に埋もれる様にして薄汚れた羽が見えた。
一羽、二羽、三羽。木切れの中で横たわっている小さな体がいくつか。
その姿には見覚えがあった。数日前に落ちて鳴いていた雛だった。
ちいちい鳴いていたその体は既に冷え切っており、飢えたか潰されたは知らないが死に追いやられて暫く経っていることに間違いはなさそうだった。
少女は不思議そうにその巣を見て、やはり「かわいそうだね」と言った。
「どうして落ちちゃったのかな。」
あの雛は死んだ。周囲の兄弟ごと、親に嫌われて落とされた。
かわいそうだと少女は言う。
お前が雛を殺したくせに、と男は嘆息した。