ボクは、女の子だ。誰が何と言おうとこれは事実。
だから少しは夢も見る。
例えば、恋。例えば、愛。ピンクで表されるハートに夢見る時期だってある。
愛したいし、愛されたい。万国共通の乙女の憧れ。
きっと幸せなものなのだと、周囲の女の子は笑う。ボクもそれに合わせて笑う。きっと素敵なもの、きっと幸せなもの。
ボクは好きな人がいて、愛か恋か分かんなくて、それは友達としての好きかもしれなくて。
あの人のちっちゃな仕草とか、あの人の声とかにどきどきしてきた頃もう一回ボクに訊いてみた。
ボクは、彼が好きなのかな?これは恋?これは愛?
答えは、まだ返ってこない。






乗り合いメトロ






「シェゾ、おはよ!」
勝手知ったるとばかりに扉を開ける。カーテンも開いていない室内は暗く、動かない空気のせいで籠った熱が少し不快。
カーテンと窓を開き、朝の太陽とひやりとした朝の空気を迎え入れる。
家の主人といえばまだ寝室でお休み中。そっと扉を開けて確認したらばすぅすぅ寝息をたてて眠っていた。
今のうちにとボクは朝食を作る。別にシェゾに頼まれたわけじゃないけれど、ボクがやりたいからこうしてる。
ぱきんと卵を手際よく割って油をひいたフライパンに落とす。薪にファイアーで火をつけて温めた。
ボクがシェゾに「好き」って言って、精一杯の勇気で「家に行ってもいい?」って訊いて。
半ばなし崩しの了承を、これ幸いとフル活用してシェゾの家に入り浸っているボク。
もう一週間になるかな、こんな日々。
懸念事項、ないわけじゃないけどでもこれはボクが好きでやってることだから仕方ないと半ば諦めてる、よね?
じゅうじゅう音を立てる目玉焼きを皿に移して、トーストとサラダ、それに温めたミルク。
全部机の上に並べてしまったら「シェゾー朝ごはんできたよー!」寝室の扉を叩く。ごんごんごん、多少煩いのはご愛敬。
暫くすると寝ぼけ眼のシェゾがのそのそ起きだしてテーブルについて、それからボクらの朝食が始まる。



二人してソファにかけて何を話すでもなくだらりとした空気が流れていく。
お昼は何にしようかと食料庫を見てみたらあまり大したものが入っていない。これじゃ夕飯までもたないやとボクは籠を引っさげて扉を開ける。
街に行ってくるねとシェゾを顧みれば、この前から夢中になっている魔導書を読みふけっていた。
返事がないことに不満を感じながら、行ってきまーすと元気よく飛び出した。
天気はいい。
ぽかてかと機嫌よく地を照らす太陽を仰いで足取りも軽く街へ。シェゾの家は街から少し離れた場所にあるのでこういう時は不便である。
野菜を買って、お肉を買って。そういえばもう牛乳がなかったよね、と思い出し思い出し必要なものを買っていく。
ぱんぱんになった買い物籠に満足して、さて帰ろうと視線を上げれば、街道の向こうを歩く人影と目が合った。
「ラグナス!」
「やあ、久し振りだねアルル。」
手を振って駆け寄る。相変わらず彼は人好きのする笑みを浮かべていて、変わらないなぁと苦笑した。
「立ち話もなんだから、ベンチにでも座ろうか。」
少しだけ家にいるシェゾのことを考えて、少し遅れてもあいつは何も言わないだろうという結論に達したのでそのお誘いに乗ることにした。
はい、と手渡されたジュースのカップに驚いて、おずおずと受け取る。
「あ、ありがとう。」
気が利く、というか。よく観察されてるんだろうな。そういうところが少し恐ろしい。
今日は暑い日でボクは大荷物で、当然みたいに喉が渇いていた。
ひんやりとしたジュースはとても有難い。
「アルル、辛くない?」
「何が?」
ボクは彼の言っていることの意味が分からない(振りをする)
それにラグナスは悲しそうな目をして、「目」と一言言った。
「目?どうかした?」
「目が笑えてないよ、アルル。」
無理して笑ってるんじゃない?ため息混じりの言葉。
「苦しいんなら苦しいって言えばいい。」
それは悪いことじゃない、との言葉にぎこちなく笑った。
「相談くらいならのれるよ。」
相談、してみるのもいいかもしれないと思ったボクはきっとこの熱に浮かされていたんだろう。
「苦しい、よ。だってあいつはこっちを見てもくれない。」
くしゃりと顔が歪んで、泣きそうに目は細められる。
彼は何も言わない。ボクがおはようと挨拶しても返してくれたことはないし、ごはんできたよと言えば食べてはくれるけど「美味い」も「不味い」も聞いたことが無い。追い出されないだけましだと思ってボクは彼の家を探索する。彼は何も言わない。視線ひとつ寄こしやしない。勇気を振り絞って隣に座っても気づかれもしない、こっちを向いてくれもしない。ボク、もう帰るねと言って彼の家を出る時も一声も発してはくれない。昔のライバル関係だった頃の方がよっぽど彼の声を聞けた、いろんな表情を見れた。触れることすら躊躇う距離。本当は、もっと近くにいたい。
ボクのココロを唯一繋ぎ止めているのは時折零れる相槌だけ。認識されてる、その思いだけ。
「好き」の心が錆びていく。ボクを家に上げてくれるのはただの同情なんじゃないの。囁く声が聞こえる。どうせ叶わない想いなんだからと、少しでもいい夢を見させてくれてるだけ?
「好きになんて、ならなきゃよかった。」
ぽつりと落ちた言葉は涙みたいな色をしていた。
「じゃあ、新しい恋でも見つけたら?」
「・・・いいのかな。」
「いいんだよ、恋にルールなんてないんだから。」
ルール。規則。心に小さなさざなみが立つ。
ラグナスは優しい。
勇者であれと自分に言い聞かせているからかもしれない、けどそれを差し引いたって優しいと思う。
絶対損してるよね、最後の最後で譲ってしまうんだから。もう少し我侭になったっていいのに。
その点ボクは我侭だ。自分を愛してくれない人のところにいたくないくらいには。
「あのね、ボク、ラグナスのこと好きなんだ。」
淡い淡い憧憬と親愛と、一摘まみの「好き」。全部混ぜたらきっと愛になる。
「いきなりどうしたの。」
「ね、これって恋かな?」
臆病なボク。嫌われるのがいやだから、嫌われないような訊き方しかできないの。
「恋、だと嬉しいな。アルルのこと好きだから。」
答えはあっさり返ってきた。
ああ、こんな簡単なこと。どうしてわからなかったのかな。
「明日、朝一番にラグナスの家に行くよ。デートでもしよう?」
「彼はどうするんだ?」
「いいの。どうせボクのこと好きじゃないんだから。ボクだってあいつのこと好きじゃないんだから。」
かしゃ、とカップの氷が嘘吐きな少女を嘲笑った。



少しお昼には遅い時間に帰って来たボクは簡単な昼食をこしらえて、ソファで朝から同じ魔導書と睨めっこしているキミに声をかける。
相変わらずキミは生返事で聞いているこっちが辛くなるばかり。
半ば諦めて本棚からいくつか見繕った魔導書を取り出して開く。
何か考えていればいい。この無音の空間は読書には最適な筈。
陽が傾けばボクは本を閉じて夕ご飯の仕度をする。
ここ一週間と全くと言っていいほど変わり映えしない行動に、我ながら感心してしまう。
夜だからって朝や昼と何かが変わることもなく、ただボクが一方的に喋って、彼は黙々と目の前の食べ物を摂取するのみ。
どうしてだろう、数十回は繰り返された疑問は考えることももう止めた。
どうして
彼は何も言わないのだろう
どうして
彼はボクを見ないのだろう
どうして
それなのにボクは彼の家にいることを許されているのだろう
答えの出なかった疑問がぐるぐる喉を焼け付かせるから、吐き出したくなる想いは辛うじて喉で止まっている。
じゃ、ボクもう帰るね。ことこと音をたてて片付けた。
彼は分厚い本に夢中になっていてちらりとも見やしない。
これで最後。もしも彼がちょっとでもこっちを見てくれたら、ボクはまだ彼のことを好きかもしれない。
ぎぃ、扉が開く。暗い地面に足をつけて一歩、二歩。
「バイバイ。」
ばたん、扉が重苦しく閉まった。最後の最後まで彼はただの一言も発する事なく、視線をよこしもしなかった。
ばいばい、ボクの恋心。返事のなかった恋なんて、捨てちゃうんだから!
目の前はもう暗闇ばかりで、知らずぽたりと涙が零れた。ボクはもう、ひとりきり。
「ふ・・・ぇ。」
堰を切ったかのよにぼろぼろ涙が落ちていく。悲しいよ、苦しいよ、淋しいよ。
同情なんて、いらなかったのに。嫌いなら嫌いと、はっきり言ってくれれば良かった。
そしたらこんなにも辛くなくて済んだ。
自己満足の恋心だなんて笑っちゃう、始まってもいなかったくせに一人で舞い上がって。
こんやからは、ひとりきり。
だから声をあげて泣こう。泣き過ぎて消えてしまう妖精のように、ボクも今日限りで消えてしまいたいから。



「おい」いきなり背後から声が聞こえて、ぽす、と大きな手が降ってきた。
「泣くな」
「なん、なんで来たのさ、ボクのこと、なんて、ほっとけばいい、のに。」
しばらく沈黙が落ちて、ひぐひぐすすり泣く声だけが辺りに響く。
「好きなやつに泣かれて、ほっとけるほど薄情な男に見えるのか?」
か、っと頭に血が昇る。さっきまでの悲しみが全部怒りに変わってく。
なんで、今更、そんな、都合のいいことを!
「ここ一週間、一度も口きいてくれなかった奴が今更何言ってるの!」
思わず声を荒げる。涙はまだぽろぽろ落ちているけれどじきに止まるだろう。
「・・・お前に何を言えばいいのか分からなかった。」
「なに、それ。」
「黙ったままでもぽんぽん事が進んでいくものだから、なおさらどうすりゃいいのか分からなくてな。」
「なんだよ、ボクのせいにする気?」
「仕方無いだろ、声出すのって結構緊張するんだ。」
お前から好きだと言ってもらえて、嬉しさのあまり何も出来なくて。
さっき声をかけるのにも暫く逡巡していたという、ああなんという根性無しだこいつは!
「それで、それでずっと喋らなかったと?じゃあボクと目線合わせてくれなかったのはどうしてさ!」
「それは、そのだな・・・」
「なに。弁明があるんなら言ってもらおうじゃん。」
「見ていることを知られたくなかった、から・・・」
「はぁあ!?じゃあボクが余所向いてる時に見てたって事?どーりでいつまで経っても同じ魔導書読んでると思った!」
なんだ、全部全部ボクの杞憂。ボクの心はちゃんとキミに届いていて、キミは超絶不器用で。
「なんだよぅ〜」
へにゃ、と膝から崩れ落ちた。勘違い、なんて侮れない。ボクもうちょっとで浮気しちゃうとこだったんだよ?
視線を彷徨わせているこいつにきっと鋭い目線を向ける。少々の恨みと嬉しさを込めながら。
そこで思い出したように あ!と声をあげた。
「明日、来ないから。」
「はぁ?どういうことだおいアルル!」
「べーっだ、明日はラグナスとデートするの!キミは罰として一日くらい自分一人の寂しさを噛み締めなさい!」
もう、答えはとっくに。
だから彼からの答えは受け取れない、今日は心の中で謝罪して明日はちゃんと言葉にしよう。
「大丈夫大丈夫、ボクはキミのことが好きなまんまだよ。」
赤く腫れた目蓋を擦ってぎゅうと抱きつけば、また口を噤んでそっぽを向かれた。
それが気に食わなかったから横向いた顔を両手でがっしと掴んで固定、背伸びして頬にひとつ口づけをプレゼントしてやった。
「明日一日我慢できるようにおまじない。」
驚きのあまり固まってしまったキミを置いて、じゃあまたね!と笑顔で手を振って駆けだした。













この話で一番可哀想なのはラグナスである