樹海と言えるほど広く深い森。
乱立した木々は日の光を遮り、闇を好む凶悪な魔物が群棲しているとの噂の地。
その森の奥深くには古代の神殿があり、強力なアイテムが眠っているとか。
何処にでもある噂話。けれどこの場所にはそれを真実だと言わせる、根拠があった。
大きな森の、その入口。ツタに覆われた小さな神殿。以前はこの森に棲む神様を祀ってあったそうで、神官の言い伝えによれば今は誰も立ち入ることのない森の中心部にもっと大きな神殿があり、その中には貴重な書物や儀式の道具が眠っているとか。
今の神官の血筋の家族はもうそれらに興味はないらしく、アルルの「じゃあもし見つけたらボクが貰っていい?」の言葉に二つ返事で頷いた。
ただ、本当に危険な場所だから気をつけていくようにと優しそうな母親から釘を刺されたけれど。
「ボク、そんなに弱そうに見えたかな?」準備万端、アイテムを持てるだけ持ってアルルは森へと歩を進める。
結論から言ってしまえば、神殿へ辿り着くのはそう難しくなかった。別段トラップなどが仕掛けてあるわけでもなし、凶暴な魔物はいるにはいたが全て魔導により黙ってもらった。
十二回目のファイアーで魔物を退けたアルルは遠くに聳える白い岩肌を見上げ、ようやく見えた目的地に向けて方向転換した。
なにせ例の家族でさえも正確な位置は把握していないとのことだったので、とりあえず中央を目指して進んでいたのだが、間違っていなかったようだ。
「よし、あとちょっとだ」気合を入れ直して、アルルは本日十三回目のファイアーを木陰に潜む魔物に向けて放った。


「すごい・・・」思わず声が漏れる。
神殿近くの地面はよくならされていて、昔は大勢の人間が出入りしていたことを窺わせた。
もっとも今ではやってくる人間もいないのか草木が伸び放題であったが。
つた植物の絡まる柱も、苔むした石造りの屋根も、全てが真っ白な岩石で出来ている。使われることもなくなってから一体どれだけの時が経っているのかは知らないが、悠久の時を経てなお荘厳と佇むその姿は圧巻としか言いようがなかった。
美しい女性のレリーフ、ゆるりと円を描く床の文様、唐草の絡まる意匠を凝らされた柱、どこか不気味な全身から芽を出した男性の彫刻、豊穣を表す葡萄の葉が彫り込まれた台座も全てが白。
宗教的な意味の込められたそれらを一つ一つ調べて回りたいところではあったが、今回はそんな余裕はない。
とりあえずマッピングと、それから目ぼしい物がないか。その二つに焦点を絞ってアルルは探索を開始した。
人がいなくなって相当の時が経っているからか、結界なども形骸化して意味をなしていない。そのため魔物も入り放題、しかも外の奴らより強いときた。
これには苦戦せざるを得ない、強いだけでなく群れで襲ってくるものだからどうしたって広範囲魔法の頻度が増える。
この広い神殿の、ほんの一部分しか探索していないというのに。
「・・・っしつこい、ホーリーレーザー!」
一直線の光が薄暗い通路を貫いて、ぼろぼろ形を崩して倒れていく魔物とそしてその後ろから次から次へと湧いてくる新手にアルルはうんざりしていた。
まさかこんなに魔物が多いだなんて!確かに以前から魔物の多い森だとは聞いていたがここまでとは思っていなかった。
まだまだ奥がありそうだが、今回はこれ以上は無理かとアルルはもと来た入口に向かって走り出した。
クモのような魔物の張る巣を焼き払い、最初にアルルを迎え入れた広いホールに出てほっと一息。巣を壊されて怒って襲いかかる巨大蜘蛛にファイアーをぶち当てる、ぶちぶち音をたてながら縮んでいく巨体を一瞥して、すっかり暮れた夜空を見上げた。
「結局戦利品はこれだけか・・・ま、もう一度来ればいいんだけど」色とりどりの宝石が散りばめられた小箱をもてあそびながら神殿を見返って、再び暗い森へと足を踏み入れた。


どうやらまずいことになったらしい、アルルはひとりごちる。
昼間の魔物はそう強くなく、どれもファイアーで倒してしまえるか、そうでなくとも少し脅かせばしっぽを巻いて逃げるような奴らばかりだったのに。
夜行性の魔物が多いのか昼間とは比べものにならない頻度で、比べものにならない強さの魔物と遭遇する。
それでも暫くは火力で押していけたがだんだんそれも心もとなくなってきた。
凶悪な魔物が群棲している、その意味をもっと考えておくべきだったと今更ながらに思う。
ざぷ、足元で湿った音がして、自分が沼地に入り込んだらしいと悟る。同時に、迷ったことにも。
行きには沼地など通っていない。目印として一定間隔で結んだ布も見えない。
ついてない、舌打ちしそうになるのをなんとか堪えてぐびりと最後の魔導酒を飲み干した。これで後はない、どうやって凌ぎ切るか。
単体で襲いかかる魔物の目を炎で潰して、うろたえた隙に畳みかけるようにファイアーを連発。
アイスとファイアーなら魔導力の消費もないし、これで押せるだけ押さなければならない。
致命傷にならない傷を治している暇も、余裕もない。対峙する狼のような魔物がぐるると鳴いて襲いかかる、それに炎を喰らわせてやろうと身構えた途端、ぎゃんと魔物が啼いて怯む。何事か考える暇もなく、「ファイアー!」掌から迸る炎が魔物をぺろりと呑み込んで消し炭を作り上げる。
ごうごう盛る炎に一息ついて、続いて聞こえたぺきりという枝の折れる音に再び身構える。
息つく暇もない魔物との連戦に正直アルルは疲弊していた。だからある気配が近づいていることにも、先程の魔物に一撃くらわせたのがそいつだということにも気付けていなかった。
「なんだ、こんなところで会うとは奇遇だな」
「シェゾ・・・」
まずい所でまずい奴に、アルルは剣呑な光を瞳に灯して臨戦態勢を取る。
「なんだ、顔なじみに会ったというのに戦闘準備か?」
「煩いな、戦うんなら手っ取り早く済ませようよ」
それにシェゾの瞳も不穏な色を宿す。
「珍しいな、いつもの馴れ馴れしい声色はどうした」
挑発するような言葉。顰められた柳眉。余裕ぶった受け答え。どれも疲労しているアルルには煩わしい。
「残念だけど、キミに気を使っている余裕はないから」
「いつもの頭の悪そうな態度はポーズだと?」
「それなりに気を使っているんだよ」
キミの相手もしてあげてるし、ちゃんと話も聞いてあげてるでしょう?
しかし珍しい、冷静な頭がこそりと囁く。あのシェゾが、ボクを見て戦いを仕掛けてこないなんて。
よくよく見れば身に纏う衣服はところどころ裂けて、右の袖はじっとりと血を吸って赤黒く変色している。
ぴりりとした空気が広がって、どこか剣呑な光を灯した目がふい、と伏せられた。
「やめだ」
「なにをだ」
すい、と生白い手が差し出される、意味を掴みかねてシェゾは沈黙した。
「手を組もう、キミもこの場所には辟易しているんでしょう?」
ギャアギャア喚く魔物の獰猛な声が響いて、考える余地はないと急きたてる。
「仕方無い、一時休戦だ」
差し出された細い手を取って、「そう言うと思った」との言葉に沈黙で答えた。
月の光はうっすらと辺りを照らしていて、どこか仄暗く蒼い闇を作りだしている。
そうは言っても木々の間隙は暗く落ち込んでいてどこに何が潜んでいるかなど見えやしない。
ちゃぷ、水をたっぷり含んだ地に足をつける度じわりと染みだす水に溜息を吐きながら、シェゾは暗がりから飛び出す魔物を次々斬り伏せていく。
人間の立ち入らない地だからか、ここはやけに魔物が多い。
目の前を歩くアルルも、先ほどからひっきりなしにファイヤーを放っていて、足元には消し炭になった魔物の死体が折り重なっている。
揺らめく炎に照らされる横顔には何の感情も浮かぶことはなく、アルルも卵とはいえ魔導士なのだと思い知らされた。
仲間に囲まれて笑う、記憶の彼女は虫も殺せないような可愛らしい女の子で、目の前の光景とは繋がりそうもない。けれど目の前で毛むくじゃらの魔物の心臓をアイスで突いて返り血を浴びているのも間違いなくアルルで。鮮烈な光景は確かに脳内に刻まれた。
数度目に渡る魔物の大軍を退け、鬱蒼とした木々が少し開けてきた頃、アルルは背後の男からの視線を感じた。
ふ、と振り向くと思ったより近い位置にいたシェゾと目が合って。
見上げた先には獣みたいな冷たい目。
冷え冷えとした蒼が刺すように見下ろして、「何、見とれてんの?」馬鹿にしたように毒づいてやれば
「誰が」瞳より冷たい言葉が降って来る。
「そ」彼女の顔に彩られる笑みの感情は薄い月に照らされて、余計に酷薄に見える。
太陽の下で笑う、あの可愛らしい笑い声がどこか遠くで聞こえた気がしてひどい眩暈を覚えた。
「お前はもっと可愛らしく笑うのだと思っていたがな」
「人は見かけによらないよ」
「そうらしい」
「今更、何を分かりきったことを言っているの」
くつくつ口の端で笑む。
ギィ、コウモリに似た魔物が飛び出して来て牙を剥き出しにするのをがつりと掴む。
「ボクは」
ギァァ、ぶすぶす上がる煙と共に魔物が苦悶の声を上げる。
「容赦なんてしやしないから」
彼女の手の中で魔物が燃えていく。逃れようと足掻く、その羽が耳が足がぼろぼろと炭化していくのを気にも留めず投げ捨てた。
まだ炎の残る魔物の体をシェゾは踏み潰して歩いた。ギェ、断末魔の悲鳴など聞き飽きていた。
いつの間にか土は乾いたものに代わり、森の出口が近いことを指し示している。
開けた視界にぽつぽつ見える橙の色。
「抜けたよ」
うっすら浮かぶ人里の灯りに、安堵より落胆のため息が零れ落ちた。