ある日、森の中、魔物に、出会った。
端的に言えばそういうことだった。
ラフィーナは森林浴に出かけていて、魔物は森が好きだった。
出会ったのは偶然だったし、会話をしようと思ったのも偶然だった。


紅いその姿を見つけた時には無視しようかとも思ったが、嫌みの一つでも言ってやりたいという考えが疼いた。
相手は手に持った本を読んでいてこちらに気付いていないようですし、ちょうどいいですわとこっそり近づいて声をかける。
「あら、蘇っていたんですの。亡霊のような御方ですこと。」
折角リフレッシュしようと思っていたのに台無しですわと髪を掻き上げて言うのに相手もちらりとこちらを見て「なんだ小娘」と嘲笑を貼り付けたような顔で答えるのにラフィーナは少しばかり腹が立った。
「相も変わらず無礼千万ですのね。」
まあ、いいですけれど。
「さっさと体を返してやって欲しいものですわ。」
その、と彼が手に持った本から悲しそうに顔を出すタマシイを指して言う。
「見ているこっちがいたたまれませんもの。」
まったく馬鹿な奴だと顔を顰める。あの本を持ち続けている以上こうなる可能性は十分だったろうに、その覚悟すら出来ていないとは。
「まあそう言うな、我とていつまでもこんな狭苦しい本の中では息が詰まってしまう。深呼吸くらいは許されるのではないかね?」
「まあ、それくらいなら。」
どうせそっちのタマシイは自業自得ですし、と言ってそっぽを向く。
薄い紫色のタマシイが栞代わりに挟まれるのを視界の端でみとめながらいいざまですわと心の中だけで呟いた。
「ふむ、では暇つぶしに謎かけでもどうだ?」
「あら、謎ぷよでもやろうってんですの?でもここにはぷよはいませんことよ。」
「いいや、言葉遊びだ。」
「意図が読めませんわ。」
「言ったろう、暇つぶしだと。」
それ以上のものではないさとくつくつ笑う。
「存在しないものを存在させるにはどうすればよいと思う?」
目の前の男が訊くのに「さあ」とだけ答えておく。正直、興味はないからだ。
「簡単なことだ。」
「認識させればよい。」
「ただそれだけで存在は定義される。」
その言葉にふと浮かんだ違和感を言葉に置いた。
「あなたは存在しないとでも言いたげですのね。」
置いてから気づく、ああなるべく無視していようと思ったのに。
「そうだ、『私』は存在しない。存在するのは本であり、媒体であり、そして情報だ。」
この本のどこにも『私』など記されてはいないのだと自嘲気味に笑う。
ただ昔『魔物』がいたこと。ただ昔『魔物』が封じられたこと。それしか書物には刻まれてはいない。
「よって私を定義するのは認識なのだよ。」
私が存在するのだと強く強く思いこみ、きっとこうであったろうという予測と推測で意識と性質を定義する。
「だがしかし認識というものは時に曖昧でな、変質や消失の危険性を孕んでいる。」
なにせ人間の頭の中だけのものだからなと彼は言う。
「それならどうして、」
「うん?」
「どうしてあなたは変質も消失もしないんですの?」
さっさと消えてしまえばいいのに、とは言わないけれど近い響きを持って言葉が鎮座する。
「それは確固たるイメージがあるからだろう。『私』という個がこうあるべきだというイメージ。」
それこそが私を認識づけているのだと彼は笑う。
皮肉なものだ、きっとその具現の根幹を成しているのは彼を最も恐れているそこの男だろうに。
その表情変化を読み取ったのか彼はにやりと口角をあげて目を細める。その顔が気に食わなくて「まるでじじいですわね」とだけ毒づいた。
「恐怖というものは最も変動しない『認識』であるから、私はこうして今もこの地に佇んでいられるのだよ。」
「それではあなたが恐怖の対象でなくなったとしたら、あなたは変質するとでも言うのかしら?」
いいやと彼は首を横に振る。
「それはないな、何故なら私は既に定義付けられているのだから。例え未来があったとして、そこの私が恐怖の対象でなかったとしても『恐怖の対象だった』過去は消えることもないのだから。」
面倒なことだと未来を見つめる少女と、
それもまた一興と過去に由来する魔物が一同に介した瞬間は、あるいは奇跡と呼べたのかもしれない。