ルルーは、この時期になると帰って来る彼女となんてことはない世間話をするのが毎年の楽しみだった。
彼女はいつもガラスで覆われた庭園に遠慮がちに入って来る。そしてやわりと相好を崩して
「久しぶり、ルルー。」
と言うのだ。
ルルーはその姿に安堵と寂寥を同時に覚え、「久しぶりね」何事も無かったように出迎える。
丸くて白い高い脚のテーブルと、その周囲にぐるりと円を描くように同じく白い高い脚の椅子が三つ。
テーブルの上にはティーポットとティーカップ、それに砂糖つぼが並んでいてそこそこの面積を占めている。
「お茶は、砂糖を一つで良かったかしら。」
「うん、ありがとうルルー。」
「どういたしまして、あなたの好みなんて昔から把握してるもの。」
くすくす声が漏れて薔薇の咲き誇った庭園で穏やかな時間が流れる。
落ちた沈黙は心地よくて、硝子から零れ落ちる陽の光さえも優しげに微笑んでいるようだった。
「ルルーはきれいになったね。」
お菓子をつまみながら彼女はそう持ち出す。
「当たり前よ。やっとあの御方と結ばれるのだから、今までよりもっと磨きをかけなきゃ。」
「あんまり無理しないでね。ボク心配だな、いつか倒れちゃいそう。」
「あら、貧弱なあなたと一緒にして欲しくないわね。」
軽口を叩き合ってお互い笑う、この時間が好きだった。
ぱらりとページを捲った小さな本はところどころ黄ばんで年月の経過を訴えてる。
彼女はただ静かなだけの時間を過ごすのは好きでなかったから、彼女のための庭園には毎年新しい趣向での飾りつけが為されていた。
小柄な彼女が沢山の薔薇を楽しそうに眺めるのを微笑ましげに見つめて、あの子が以前のようにはしゃがなくなったということをふと思い出した。
出てきた考えを振り払うように軽く頭を振って再び手元の本に目を落とす。
静寂の時を破ったのは突然の闖入者だった。
庭園のガラス戸をあろうことか粉々に砕いて侵入した男はその端正な顔を愉悦の形に歪めて高らかに声をあげる。
「相変わらずだな、今日こそお前の魔力を頂くぞ!」
「もう、しっつこい!」
不躾な台詞と共に剣を突き付ける男と、がたんと椅子から勢いよく立ちあがって応戦する彼女。
相変わらずの光景を目を細めて見ていた。
「ルルー様、よろしいので?折角の薔薇園が跡形もなくなってしまいますが。」
「いいのよ、ミノ。でも後で直せるだけは直しておいてね。」
来年までにまた花を咲かせてくれればいいんだもの、とだけ言って紅茶を飲み干した。
彼の姿を見るのも久しぶりだ。おおよそ一年ぶりだろうか。
あの闇の魔導師はある日を境にぱたりと人前に姿を見せなくなった。
噂では遺跡の奥深くで怪しげな実験をしているとか、いいや人肉を食む化け物になったのだとか噂は絶えない。
どれが本当かも嘘かも判らないただの噂。
それでもこうして見る彼は以前と少しも変わっていないように見える。
久し振りに見る姿は少しばかりやつれたようでもあったが、ただ日光に当たっていないだけかしら、ルルーはひとりごちた。
爆発音、甲高いバチバチとした音、次々引きちぎられていく薔薇の花。そのどれもをルルーは穏やかに見つめていた。
昔を懐かしむ老婆のような瞳で。
相対する彼も彼女も心の底から勝負を楽しんでいるように見える。
そこには形骸化した力のぶつかり合いしか残っていなくて、命の奪い合いなど無意味だと互いに知っているから成り立つ、純然たる「勝負」だった。
「紅茶のおかわりをお注ぎしましょうか。」
「ええ、お願いするわ。あの子たちの分も。」
すっかり冷めてしまった彼女のカップも一緒に下げてもらう。ぬるめの温度でね、と付け加えるのに牛男は「お優しいですな」と言い残してさっさとキッチンへ向かってしまった。
一言多い従者に少し口を尖らせて、優しくなんてできないわと小声で呟いた。
私が優しければこんなことにはならなかったんじゃないのかしら。
向こうでは彼女が男に対して優勢であり続ける戦いが続いていて、やがてひと際大きいばごんという音が聞こえて決着。
「シェゾ久し振りなのに弱いまんまじゃないか!」
駄目な奴〜ときゃらきゃら彼女が笑うのを悔しそうに銀髪のあいつが睨む。いつものやりとり。
その光景が何故だかとても眩しいものに見えて、涙が出そうになった。
慌てて堪えた涙はさぞかし滑稽だったろう。



「ほら、あんたたち二人とも久しぶりなんでしょ?」
席につきなさいと無言で言えば彼女は楽しそうにちょこんと、男の方はしぶしぶと白い椅子に腰かけた。
「お茶で御座います。」
目の前に出された紅茶を渋面のまま啜る。
飲みやすいようにぬるく淹れられた紅茶で喉を潤して彼女が笑う。
「シェゾも久しぶりだね、えっと・・・」
「一年。」
「そうそう、そのくらい!今何してるの?」
「別に・・・」
ふい、と目を逸らしてふてくされたように言うのに呆れた声を出す。
「アンタねえ、たまには素直になったらどうなの?本当はこの子に会えて嬉しいくせに。」
「なっ、バカ言うな!んなわけないだろ。」
「あら、そう?私はアンタ達に会えて嬉しいけど。」
さらりと言ってボクも嬉しいよという彼女と知るかと憮然とした顔で俯く男を眺めた。
他愛ない会話。新しく遺跡が見つかったのだと男が言えば、えーボクそれ知らないよ、今度連れて行ってねと彼女がねだる。それに お前の今度は一年後だろ?覚えているのかと悪態を吐いて、言ったなー絶対覚えてるんだから!と返す。喧嘩腰になる二人を諌めて そうそうサタン様がね、と話を切り出すと途端に渋面になる二人に今度はこっちが機嫌を悪くする。それに慌てたようにいやいやルルーののろけはいっぱい聞いてるもん、とフォローが入ったので許してやるとした。
幸せを具体的に形にするとこうなるのではないかという程穏やかに騒がしく時間は過ぎる。
少女が可愛らしい言葉を口に乗せれば男は子供っぽいと嘲笑し、それに女が乗っかる。むくれた少女のご機嫌取りに奥から御茶菓子を取ってくるわと微笑んで、男も機嫌直せよと乱暴に頭を撫でればやめてよと口では言いながらもまんざらではないのか笑みが零れる。トレイに乗った三つのタルトを目の前に差し出して仲がいいのね、とちゃかせば急に照れたかのように手を離した。タルトに舌鼓を打ってこれどのこお店のやつ?と彼女が訊くので私の手作りに決まってるでしょと答えれば大仰に男が驚くので失礼な奴、と鉄拳制裁。
ガラス張りの空から射す灯が赤みを帯びてきたころに少女が穏やかに言葉を零した。
「ね、ルルー。ボク、あの丘に行きたいな。」
その言葉に女は柔らかく目を閉じて、男は無表情をひとつ落とすだけで応えた。
「あら、もうこんな時間だったのね。」
平静を装ってミノタロウスを呼ぶ。後片づけ、頼んだわよと言えば「かしこまりました」だけの言葉で手際よく皿を持って行ってしまう。
さて、そう言って立ち上がったのは例の馬鹿な男。
「オレはお暇させてもらう。次こそお前の力を頂く、せいぜい覚悟しておくんだな。」
「毎回言ってるよね、それ。」
ばいばい、と小さく手を振るのに「またな」とだけ言って空間転移で消えてしまう。
無愛想で不器用なんだからと彼女は呟いて綺麗な笑顔でこちらを振り向いた。
「じゃ、行こう。」



その丘は街から少し離れた場所にあった。
特に目立っている訳ではないけれど、夏風の爽やかなこの季節に一番綺麗になる丘だった。
「きれぇだね、やっぱり。」
橙の日の光が青空と溶け合って白い雲と共にマーブル模様を描いて、緑の大地はその光を受けてきらきら輝いている。
風を心地よさそうに受ける彼女の横に立つ白い石をなんとなしに眺める。
あの日以来何度も何度も見た文面は今もまだそこに鎮座していて、その隣で笑う彼女を想ってどうしようもなく泣きたくなる。
誰も呼ばない、暗黙の不文律。
『アルル・ナジャ享年  才』
まだ綺麗なままのその石の塊を蹴飛ばしたい衝動に駆られた。
「ルルー。」
夕日の逆光の中で綺麗に笑う彼女の声が震えているのに気づかないフリをして「なにかしら」優雅に微笑んだ。
「ボク、もう行くね。」
地平線を見送る太陽は眠りにつこうとするかのようにその光を陰らせていく。
東から夜がやって来るのを感じて目を眇めた。
「じゃあ、またね。」
「また、太陽が廻ったらあなたに会えるのかしら?」
「多分、会えるよ。」
太陽はもうほんの少ししか顔を覗かせてはいなくて、薄暗い空気が互いを包む。
「ね、どうしてボクの名前を呼んでくれないの?」
寂しそうに微笑む彼女にゆるりと笑いかけて、
それを答えにした。
「皆ばかだね、ホント、ばかばっかりだ・・・。」
泣きそうに歪んだ顔でそれでもなんとか笑おうと必死に堪える彼女の額にそっとくちづけて「またね」と笑った。
「うん、またね。」
最後に彼女はちゃんと笑って、そしてふわりと消えた。
空気に溶けるみたいにあっけなく。
それを見送って、一人で音もなく泣いた。誰も名前を呼びたがらないあの子のために、ひそりと泣いた。